こんばんは。インドはめきめき涼しくなってきています。11月ですもんね。

 

『秋』のもの悲しさというのは、もしかしたら、『暑さの衰え』を中心にして起こる『寂しさ』が原因なのかなぁと今日は感じました。

 

夏の盛る暑さが徐々に衰え、『あれ?涼しいぞ?』と秋を知る感覚は

 

『老い』など考えることも無く、元気よく遊びまくった若い頃。『あれ?体が少し言うことを聞かなくなってきたぞ』と『衰え』を知る感覚に近いのかと。

 
 

まあ、私はまだ34で。肉体・精神の『衰え』というのを語れるほど成熟していないのですが。『風邪』などをひくと、やはり10代の頃とは違うのだということを痛感したりします。

 

上記のことは、なんとなくレベルのものですが。今朝はそんなことを思いました。

 
 

ところで、天才と呼ばれた『枝雀』という落語家がいるのですが。

彼は重い『鬱病』で苦しみました。

 

若い頃に発症した『鬱』でした。

彼は『鬱病』の本質は『死にたくない病』である、という言葉を残しましたが、最終的には自殺しました。ここには『矛盾』では片づけられない奥深さを感じます。

 

彼の『噺』を知っている人は、『え?この人、そんな病気なの?』と驚く人もいらっしゃるのかと思います。実際、人前では異常なほど明るく楽しい人であったとのことです。

 

双極性障害という言葉もありますが。天才ならではの究極の求め方、というのがあったのかも知れません。振り子の両端の極限を生きていたのかもしれません。
 

『落語』という『枠』そのものの究極をいき『絶望』し『命を断った』のかもしれません。

どんな苦悩があったのかは、分かりませんが。そしてどんな美しい世界が彼の中で広がっていたのかは分かりませんが。天才は大変だなぁと凡人は思うのでありました。

 

もしかしたら、天才だからこそ見えないものがあるのかも知れないなぁ、とも思ったりもいたします。

私は凡人の究極を求めているので、へらへらしてるんだろうなぁ。

 

 

天才と云えば、スポーツ選手のイチローは『天才』と称される人ですね。

でも彼は『僕は天才じゃないよ。だって、自分のやっていること全部説明できるもん』という言葉を残しています。

 

彼の境地など、到底想像もつかないのですが。これを謙遜で言う人だとは、とても思えない。彼の頭の中は、どんな世界が広がっているんでしょうね^^

 

 

 

さて、じゃあ今日も。明るく元気に普段着いっていましょう!

 

 普段着

 

昨日、『近況の話を喜んだ』というコメントを残してくださった方がいて。私はとても嬉しい気持ちになりました。

 

そんなものを喜んでくださる方もいらっしゃるのね^^

ありがとうございます。

 

分からないものですねぇ。私の近況なんて知っても何も面白くないだろうと、思い込んでいたので^^;

なので、今日はもう少し近況を書いてみようと思います。

 

 

二日前に来年度のことを少し書きましたが

 

日本の、現在の上の人にお伺いを立てたところ、メールが返ってくる


 

 

どうぞ。1年でも2年でも。一生行ってても構いませんよ

 

 

一瞬、時がとまる。

 

 

うんうん、これは愛情表現だ。愛されているんだなぁ、という理解で時は動き出す。

 

 

確認はしない。愛していないよ、一生行ってろ。帰って来んな!って言葉が返ってくることを知っているからである。

 

そうそう何度も時を止められてなるものか。

 

 

先生、ありがとう。でも、数ヶ月で良いの。

 
 

貴重な戦力を、私のためを思って外国に行かせてくださって・・・

 

 

え? 役に立たない? 一生インドにいろ?



 

あひーん(泣)

 

 

 

さてさて続きです。最近の日中はひたすら、3Dプリンターで試作機を作り、チェックをする、もしくは諸々の書類作成。つたない英文を書き、オシャレさんが『オシャレな英文』に変換してくれる作業です。

 

日に日に英語が上手になっているわ!』とゴミクズのような私の英文を毎日褒めてくれます


彼女は良いお母さんになるでしょう。僕、褒められて伸びるタイプなの!

 

 

そんなことをしていると、あっという間に夜の89時になり。帰宅。

 

家に帰ってから寝るまでは、読書をするか、何かの文章を書いています。

最近はまっている本は、北大路魯山人の本でありまして。(冒頭で天才について書きましたが、魯山人は天才美食家・芸術家ですね)

キンドルで『0円』で手に入れることができます。

 

出汁の取り方ひとつとっても奥深いですね。文章自体もとても読みやすく、そして美食にこだわっている人の目線が分かりやすい。

あと『美味しんぼ』はかなり魯山人の影響を受けていたことを知りました。面白いですよ、お勧めです。

 

かつおぶしのある日本人は、まことに幸せである。ゆえに、かつおぶしを使って美味料理の能率をあげることを心がけるのが良い

 
 

こういう文章がいちいちシビれる。やったぜ!かつおぶし!って気分になる。


美食の本なのに、何故にこんなに元気が出るのだろうか?

 
 

それはやはり、『美味い物を喰いたい』『美味い物を喰わせたい』という気持ちに真っ直ぐであるからなのだろうなぁ。
 

 

日本に帰ったら、小さな事を丁寧に料理を作ってみよう! 美味い物を喰いたいし、美味い物を喰わせたい。

 
 

だいたいブログの文章は1時間前後で書き上がるので。気が向いたら『別の文章』を書くか、力尽きるまでひたすら読書をして過ごしています。深夜1−2時くらいには寝ていますね。

 

Kindle Unlimited』とてもお勧め! 12万冊くらいの本を月1000円で読めます! これはお得!

 

 

 

 

 

『味に自信なきものは、料理に無駄な手数をかける』

〜北大路魯山人〜

 

 

 

 

 

 

 

『料理は自然を素材にし、人間の一番原始的な本能をみたしながら、その技術をほとんど芸術まで高めている』

〜北大路魯山人〜

 

 

 

 

 

 

『良いかね。料理は悟ることだよ。こしらえることでは無い』

〜北大路魯山人〜

 

 

 

 

 

 

『食器は料理の着物である』

〜北大路魯山人〜

 

 

 
 

 

 

『あなたはあなたの食べた物で出来ている』

〜北大路魯山人〜

 

 

 

 

 

 

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コメント

 コメント一覧 (4)

    • 1. 3nari
    • 2016年11月04日 12:07
    • 5 やくにたたなくてもいいから、帰ってきなさい。さびしいから。
    • 2. あおむし
    • 2016年11月04日 23:03
    • 落語、野球、料理。
      枠があるからこそ、究極を極めることができるのですね。
      そしてその過程で、本当に人を喜ばせたいという気持ちが育っていくのかもしれない。
    • 3. Taihei
    • 2016年11月05日 02:43
    • >3nariさん

      うっ。ガツンときました。効きました。
      ありがとうございます・・・
    • 4. Taihei
    • 2016年11月05日 02:44
    • >あおむしさん

      そうですね。枠は集中を生む装置だと私は考えています。

      人を喜ばせたいかどうかは『価値観』なので。色んな人がいるのだとは思います。
      でも、やっぱり、自分自身は喜ばせてあげたいって。人間はそういう根底みたいなものを持っているんじゃないかなぁって私は感じています。分からないけれど^^
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