こんにちは、太平です。
インドのニューデリーも冬が訪れ、肌寒い日が増えてきました。
長袖を身にまとう人々が増えてきて、首にショールを巻く女性達も目立ち始めています。
普段着というのも季節によって装いが変わるモノですね。
さて、では11月3日の普段着いってみましょう。
今日は『妙子さんの悪口』です
『妙子さん』は人妻なのだが、かつて私は彼女と同棲をしていた。
思えば『妙子さん』との付き合いは、かれこれ34年に至る。
そう、34年前の9月7日。私は『妙子さん』の体内から出てきた。
『妙子』とは凄い名前である。
なにしろ『妙』な『子』である。キラキラネームどころの騒ぎではない。
年をとってから『妙』には『異常なほど素晴らしい』という意味があることを知ったのだが、幼少期の私は『ああ、名前通り変なヤツだ』としか思わなかった。
名は体を表すという言葉もあるが『妙』は『女』が『少ない』という形で構成されている。以前も触れたが、彼女は私に対して母性が少なく、父性が強い人であった。
(参照『母性と父性』:http://www.blog.kyomoindia.com/archives/7644335.html)
そして彼女は生まれつきの病を持っていた。
彼女は『先天性痴呆症』だったのだ。俗に言う『天然ぼけ』というヤツである。
赤ん坊の私を階段から落っことし、したたかに頭をぶつけて泣く我が子を。
『泣いているから大丈夫』と言い捨て笑ったり。
小学校の運動会を応援に来たは良いが、『約束した待ち合わせ場所』と全然関係ない場所に陣取り
『ボケーッと時間が過ぎるのを待っていたり』
小学校1年生の私は、空腹と親が見つからない不安で号泣した。
号泣する子供に対し『あらー泣いちゃってバカみたい』と笑う。
彼女は次男である私に向かっては『謝る』などという行動は取らない。
彼女にとって私はさながら『おもちゃ』であった。
そのときの心の傷は深く、翌年から『絶対に、二度と運動会に来ないで!』と言うようになったのだが。彼女はこっそりと見に来る。(美談では無いぞ!)
私は足が遅かったので、徒競走を写真に収めると、独りで走っている絵が撮れる。先頭集団から離れすぎているのだ。そういう写真をこっそり収め
後日『ほらほら、こうやって見ると逆に一番前を走ってるみたいに見えるね!』と笑う。
とにかく、一番身近にいる『許しがたき敵』が『妙子さん』だった。
先ほども書いたが、『妙子さん』は『父性』の人だった。
自分の価値観というか『思い込み』を、私に押しつける人だった。
そして『天然ぼけ』が背景にある。
自分が『昰』と思ったものを押しつけるのは良いが、そこに『論理的検証』と『相互の価値観のすりあわせ』はない。一部のつじつまが合っていれば、彼女にとっては『十分』で、それを私に押しつける。
具体的に言えば
小学校2年生くらいのとき
私は『ずっこけ3人組』という児童文学を読みたくなった。
小学校の友達は、本が欲しい場合は『母親』にねだる、という。
私は、父にしかねだったことが無かった。なぜなら、父が母性の人だったからである。
(参照『母性と父性』:http://www.blog.kyomoindia.com/archives/7644335.html)
しかし、当時の私にそんなことは分からない。
なので、試しに『妙子さん』にねだってみた。
私の人生の基本は『実験』と『検証』である。
彼女の返答はこうだ
妙子さん『うちには本が既に沢山あるでしょ? ほら、これ。お兄ちゃんの部屋にあった本で、偉い人の本だから、これを貴方は読むべきだわ。まずはこれを読みなさい。貴方が欲しいのは本。これも本。同じだよね?』
それは、三島由紀夫の『潮騒』であった。
彼女の恐ろしさは、一見して論理的なところにある。そして子供の価値観を尊重しようなどという思考体系はいっさい無いところにある。
ちなみに彼女の読書量は、5年に1冊程度のものである。三島由紀夫など触ったこともない。
もしも読んだことがあったとしたら。洞窟の中、たき火の向こう側で裸で待つ女が『私が欲しいなら、この火を越えてきなさい!』などという小説を子供に勧めたことになる。
頼むから、読んでいなかったと、言って欲しい。
いまだに怖くて聞けない。少なくとも『金閣寺』や『音楽』でなかったことは、神仏に感謝したい。
『妙子さんが言っていることは。何かがおかしいはずなのだが、何がおかしいのか分からない』という思いを抱きながら読んだ三島由紀夫は、とてもとても甘美だった。97%は意味が分からなかったが。
そして二度と母親に『本』をねだらなくなった。というか、口をききたくなかった。
少年期の最大の事件は、そんな頃に起こる。
ある日、家に帰ったら。母親が電話の前で倒れている。
呼びかけても、ゆすっても、全く動かない。
『これはアカンヤツや!!』本能がそう叫んだ。
私は、不安と恐怖でパニックになりながら、電話を取り。迷いながら119を押した。小学校3年生の子供にとって救急車を呼ぶというのは、黄泉の国への大冒険に近い。
すると、後ろからそっと近づいてきた母親が電話を切り。笑いながら、こうほざいた。
『4分20秒、これじゃお母さん本当に倒れてたら、死んでるわね!』
あのときの衝撃は忘れない。忘れたくても忘れない。多分、人によっては来世まで持ち越す。
『真実とは何だ?』という哲学的命題を、彼女はたった4分20秒で作った。
ちなみに、これは大人になってからもヤラれた。
大学3年生のとき、母親が今度は本当に倒れた。実家で寝たきりになっているという。
『妙子さん』は嫌いだったが、倒れたとなったら、私も不安定になる。実家に急いだ。
居間の真ん中で妙子さんは寝ていた。「た、ただいま、大丈夫か?」と言う私の顔を
妙子さんは、とても不思議そうな顔で見上げながら。よろよろとこう言った。
『お父さん。誰か来ましたよ?お父さんの知り合いの方ですか?』
私は叫んだ。『おやじ!こんな状態になるまで、ずっと俺に黙ってたのか!』と。
親父はため息をついてこういった。『バカ、いつものやつだ』と。
妙子さんは、息を殺して笑っていた。
とどめを刺そうか!と真剣に思った。
まあ、とにもかくにも『妙子さん』はいつもこんな感じで、許しがたい敵だった。
18から家を出たが、『ホームシック』など一度もなったことが無い。
とにかく実家にいる時間は短ければ短いほど良かった。
父親には会いたかったが、母親と会話をするのは苦痛でしょうが無かった。
恨んで憎んで恨んで憎んで、恨んで恨んで恨んだ。
でも、不思議なんだね。数年前のある日、恨み過ぎて、恨むのに飽きた。
その瞬間。涙が溢れた。押さえ込もうと思っても次から次へと、涙とともに湧いてくる感謝がほどばしった。
その体験があったから、私はこう思っている。
『本当の感謝は、能動的なものではない。ただ溢れてきて、止めようがない』
もう、ほんと。俺、死ぬんじゃ無いか?ってくらい。独りで泣いた。
私は彼女の父性に、育てられていた。
今、インドに来て、感じることは『親孝行』がしたい。死んでもしたくなかった『母親への親孝行』がしたい。
これは綺麗に話をまとめて読者を増やそうって気持ちじゃなく、本心でそう思う。(あ、勿論。読者が増えたらそりゃ嬉しいけどね^^)
実は数年前にも『親孝行』試したことがあるんだけど、すぐに喧嘩になった。
食事をしようと店に連れて行ったら『この店の匂いが気に入らない、もう気持ち悪い。連れてきて貰っても嬉しくない』というような事を平気で言うのだ。(あ、これね、私に対してだけなんです^^; 世の中の他の人に対しては基本凄く良い人)
そこで、今。私の基本姿勢に戻るんだけど。
やっぱり『喧嘩』になったときって、私の『価値観』を『妙子さん』に押しつけてたと思うんですね。
彼女が何が喜ぶか考えて無くて、これで良いだろってヤツを押しつけてた。
だから今度実家に帰れたら、ゆっくり『妙子さん』に尋ねてみようと思います。
よくよく考えたら、私は彼女のことをほとんど何も知らない。
あいてが何が嬉しいか、分からなかったから。どうしたら嬉しいのか分からなかった。『妙子さん』は奇想天外な人だからさ^^;
しっかり尋ねた上で。お互いの『価値観』をすりあわせていって。
お互いがお互い許容できる範囲で『一番嬉しい』を行動にしたいなと、今は思うのです。
このブログの趣旨でもあります。
私は『人の喜ぶこと』をしたい。だから、皆さんの価値観を知りたいんです。世の中にどんな人がいて、どんな方向性が本当に嬉しいのか、模索して。お互いが喜べる文章というのを探しているんです。
(不特定多数だから、なかなか難しいけど。文章は時間のある限り、増やすことができるので)人によっては、この一連のことを『供養』と言うのかもしれません。
なので、感想をメールでもラインでもコメントでも、教えてくれると嬉しいです^^ 待ってるよー^^
『女はね、自分の母親と比べて。少しでも幸せだったら、それが親孝行なのよ』
~詠み人知らず~
『親孝行とか火の用心とか、反対しようのない旗を振ってるヤツは怪しいと思え』
~詠み人知らず~
『親孝行は本能ではない』
~詠み人しらず~
↓何か感じることがあったら押してください。貴方が嬉しかったら、私も嬉しいです^^

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コメント
コメント一覧 (6)
先生、もうね
私はこの話に感動した!
お母様も先生もめっちゃええ人!
しかもお母様のセンス最高!
先生のブログの内容も面白過ぎるけど
お母様はもう世界に出てもらいたいぐらいイケテる!
あー、今日は良い時間を過ごさせて頂きました
m(_ _)m
お会いしたこともない先生ですが
何だかお知り合いの方のように思えてきました(^_^)
楽しい♪本当に先生のブログ楽しいです!
大阪は最高気温19℃です
冬が近いんだなぁと体感するこの頃です
インドの冬も日本の様に乾燥が伴うのか
私はよく知りませんが
くれぐれも体調管理に努められて下さいね
そして遥か日本の読者のために元気で楽しいブログの更新を宜しくお願い致します!
おー、この話を読んで、『妙子さん』のファンになるひとときどきいるんですよ^^;
こんなに無茶苦茶なのに、なんか人を惹きつける魅力があるのですね。
ちなみに、彼女の友人達は、『何故か信者のように彼女を愛しています』^^;
私も血を引いてるのかもしれませんが^^;
なんにしても。私のブログをそんなに楽しんでくれてありがとうございます^^
もう、それが、とにかく嬉しいです^^
最近のブログは。自身のことをかなり赤裸々に語っているので、私の人物像は手に取るようにわかっちゃいますね(笑)
まあ、ブログの通りの糞野郎です^^;
そんなやつの書く文章を喜んでくださってありがとう♪
飽きるまで続けます^^
糞野郎(・◇・)?
先生も呼ばれたい系ですか?(笑)
お母様の何が素敵かというと
大平君が帰って来た瞬間に何をしようか
大平君の私への思いをどうやって測ろうか?
それを子供が学校へ行ってる間も
大人になって暫く離れている間も
ずっと考えていらっしゃること!
愛が深いじゃないですか!
うちのオカンがもしそんな深層に笑いを持ちつつ
子供と対峙する母だったならば
私はひょっとしてピンクのフリルを身に纏い
お帰りなさい♪あなた♪
という女性の中の女性に育っていたかも知れませんよ
お母様は純粋に引っ掛かる大平君が何より愛おしい存在だったのでしょうね
本当に素敵なお話です(*^o^*)
私は私を糞野郎だと思っていますから。他人から呼ばれる必要はないのですよ(笑)
Taiheiと偽名の方で呼んで下さい^^
なんか急に全然関係ない独り言が書きたくなったので書きます。
『私をたどる物語』って曲が聴きたいなぁ
どんな曲だったかなぁ。綺麗な曲だった気がするなぁ。youtube
にあったなぁ
先生、返事の代わりですね^^
あ、因みに私は今の私に出来上がったことは
とても嬉しく思い納得しています
自分の人生を振り返ってみて
何歳の時の自分は嫌だと思うことはありません
どの時代も私らしく生きてこれたと思います
自分に嘘をつかずに生きてきた結果、
今の私になりました。
人が皆、そうであったらいいのになと思います。
素敵な曲をご紹介頂きありがとうございました☆☆☆
>とても嬉しく思い納得しています
まあ!さすがうさぎさん! 釈迦に説法でしたね^^; 失礼しました。
自分に嘘をつかない!良いですねぇ。
私の道に似た道を進んでいらっしゃるのですね^^
お互い、笑いながら、泣きながら生きましょう^^