さて、昨日の内容の化粧を行きましょう。
化粧ブログはあまり人気がありませんが、それは『数』の問題です。
化粧ブログを好んでくれる貴方、私は大好きです。
お祭りブログを好んでくれる貴方、楽しく飲めそうです^^
どっちも好きって言ってくれるあなた。ありがとう^^
どっちも嫌いなのに、毎日読んでくれるあなた。もしかしたら私は貴方に向かって書いているのかもしれません。
はい、では、始めましょう。
前回の内容は【母性本能】と【父性本能】という話でした。
母性のメタファーが梅さんで、父性のメタファーがヘソ君です。
私の価値観では
母性とは【価値観を受け入れる性質】であり
父性とは【価値観を取り戻す・磨く性質】です
人間は男性女性問わず、父性と母性が共存しています。
母性が強すぎると、抱かれた人間は安心し癒やされますが、成長が遅れます
ドラえもんとのび太の関係ですね。
ちなみにドラえもんが故障し、その反動が、のび太を偉大な科学者に成長させるという同人マンガがありますが。それはドラえもんが故障することで、最大の母性が、最大の父性に変換されるというメカニズムになっています。
現実でもときどき聞きますね、甘やかされて育った母子家庭のニートが、母親の病気をきっかけに目覚めるというやつです。(まあ、金が無くなって仕方がなかったのかもしれませんが)
父性が強すぎると、抱かれた人間は成長が早くなりますが、精神的に摩耗します。そして時として子供自身の価値観を否定します。
父性には少なからず、自身の価値観を昰とみなすエネルギーがありますので。
だから、父性の強い人によって、『価値観が磨かれる』ということもあります。
現実世界だと、『医者になる』のが絶対幸福と思い込んでいる父親に、無理矢理子供がその価値観を強要されたとします。子供は本当は『消防士』になりたい場合、そこでギャップが生じて、ストレスが生まれます。このストレスのおかげで、本当にやりたいこと、本当の自分自身に気がつくチャンスが生まれるといっても良いかもしれません。(弊害として本当の自分の価値観では無い人生を歩かされる危険も生じます・・・)
とにかく母性も父性も人間には必要で。
女性は母性が強い傾向があり、男性は父性が強い傾向はありますが、男性も女性も母性・父性どちらの性質も持ち合わせているので、母子家庭・父子家庭で『まともな子供が育たない』というのは嘘です。男性だけ、女性だけだと、母性・父性のバランスを取るのが少し難しいというだけです。
実際、私の父は、私も尊敬する立派な人と思いますが、母子家庭です。
彼は4歳の時に父親を亡くしています(私から見るとお爺ちゃんですね)。もしかしたら、そういう理由で彼は母性が強く育ち、その結果私が甘やかされて育てられたのかもしれません。
逆に、私の母は父性の強い人でした。自分の価値観を押しつけるひとでした。私は母親が嫌いで、父が好きでしたが。本質的には母性が好きで、父性が嫌いだったのかもしれません。私は男なので、男としての意見しかいえませんが、やはり母性・父性という意味では、男は皆マザコンなのかもしれません。
片親のことを書きましたが、父親・母親がいても、母性・父性のバランスが狂っていると、子供はバランスを崩すことが多いです。ただ、子供もある年齢に達すると、外の世界が開けますので、そこで自分に必要な母性・父性を選ぶ傾向にはあります。(ただ、それを受け入れられるか・乗り越えられるかどうかは、個人の資質によります)
さて皆さんはフリードリヒ2世の実験というのはご存じですか?
徹底してスキンシップや母性的なものを排除し、また父性を排除した場合、人間はどうなるかという実験です。
この実験の背景は、6カ国語を操れたフリードリヒ2世が、言葉を与えられなかった子供が何語を喋るのかを知るために行われた実験でした。
フリードリヒ2世は、子供達が『自分が神の言語と信じているヘブライ語』を話し出すだろうと思って実験に及んだと言われています。
言葉というのは、ある意味、生きていくのに必要な価値観の押しつけです。
これは、私は『父性』に分類し『必然的な価値観の押しつけ』というものに分類しています。その後、子供が成長したとき自分が好きな言語を選んで生きていって良いですしね。
さて実験ですが。
50人の赤ん坊を集め、部屋に隔離をします。そして排泄、ミルクを与える、お風呂に入るなど、人間が生物として生きていくのに必要なものは与えられますが
・ 目を見てはいけない
・ 笑いかけてもいけない
・ 語りかけてもいけない
・ ふれあいを一切してはいけない
という条件でコントロールされ、実験が行われました。
子供達は全員が1歳の誕生日を迎えることなく全員死んでしまいました。
ということで、フリードリヒ2世の実験の結果は、母性・父性どちらが大事なのか?ということの結論を出せるものではありませんでしたが
少なくとも母性・父性どちらも無いと人は生きていけない可能性が高いということは示せると思います。
私の感覚では、母性があれば人は生存できるのではないかなとは思いますが、父性を完全に与えなかった場合、他者との関係を生きていくことはできないと思いますし、言語獲得も難しいと思います。これは感覚ですので、論ではありません。わたしも分かりませんし、実験する気もありません。
何が言いたいかというと。
『価値観とはひとそれぞれ』というのが、私の価値観の主軸ですが。
自分の子供に対しては、必ず価値観を強要するということです。
だって、生きていけなかったら、何をしに地球に生まれてきたのかが分からないからです。
私に子供ができたら、その子にとって、最初の世界は母と私とその子である可能性が高いです。それはもう、私と強制的に師弟関係を結ばれるという意味でもあります。
ただ、子供が成長し、自分の価値観が芽生え始め、私の価値観に反発しはじめたら、その子の価値観を認めようとは思います。破門ですね。
私の価値観の投げかけは親子なので、生きている限り永遠に続けますが、押しつけることはないと思います。
もちろん、これは私の今の価値観で言ってます。
ただ、破門になっても再入門はできますので。子供が私の言っていることを理解したいと思えば、再入門となり価値観を押しつけます。(私も、自分の弟子で破門にした人は、いつでも再入門できるようにしています。今のところは)
まあ、これは。どうなるか、わかりませんけどね。
子供がいないくせに偉そうに書くなよ!って意見も分かります。
それも、その通りです。仰るとおりです。
ただ、我々はテレビも使いますし、PCも使います。テレビのメカニズムを完全に分かって使ってますか? PCのメカニズムを完全に分かって使ってますか?
人は必ず、何かしら完全に分からない物を憶測で使い、言葉にしています。
あえて恐ろしいことを書きますが
医者だってそうですよ。
現在の医学の根本原理を、自身が完全にわかって医療をやっている人なんて、まずいません。根本原理を追求し、最先端をいくのは研究者ですからね。
臨床医というのは、研究者が出した答えを『信じて』患者様にトライする実験者とも言えるんです。エビデンス信仰ってのがありますが、それはそれで恐ろしいんですね。 厳密に言えば、自分が分かってないことをやっているんです。結局、教科書っていうのは『誰かが出した答え』に過ぎないですから。
(まともな医者は、それでも少しでも理解を深めようとして日々研鑽されています)
という意味で、上記書いたのは、あくまでも私の価値観で、私の子育てに対する準備です。それは子育てしながら変わっていく可能性があります。
結局何がいいたいかというと。
人間は、自分の父親・母親以外にも色々な『母性』『父性』に触れていくなかで育てられているということです。
そして、男は女の『母性に甘えきりになる』と振られることが多い、ということですね(笑)
だって母親じゃないんだもん。
私の離婚の根本原因も、そのようなことだったと今は解釈しています。(泣)
人は気がつくまで、同じ失敗をくり返すんですね。
人によってはそれを『カルマ』と呼びます。
これを書くと嫌われるかもしれませんが。
殺人事件をおこした市橋さん、みなさん覚えていらっしゃいますか?
英会話学校教師を殺害した事件です。
世の中は彼を叩きまくりました、そりゃ殺人事件ですからね。当然です。私もそう思います。殺人は価値観の母体になる『命の強制的破壊』ですから。
ただ、そのときマスコミが彼の両親の報道したんですね。(マスコミの真意はわかりません)
両親「みんなはね。私の息子を悪魔のようにいうけどね。私にとっては大事な優しい息子なんです」と。
まあ、それで、ご両親へも『けしからん』という声が向かったのだと思いますが。
『母性』の声として、何が間違っているのか?
私は涙が出るほど感動しました。(勿論、彼の犯したことは、絶対的な悪ですよ、私の価値観においても)でもよく、両親は、その環境で、それが言えたと。それが『母性』だ。
そして彼に今、罰を与えている『法律』の本質は『父性』だ。
どちらも人間にとって、大事なものである。
・ ・・と、僕は思うな♪ 価値観を押しつけ合うこと無く、投げかけあいましょうね^−^ あなたの価値観を教えてください。
『柔らかい皮膚しか無いわけは、人が人の痛みを聴くためだ』
〜中島みゆき〜
『人間好きになりたいために 旅をつづけてゆくのでしょう』
〜中島みゆき〜
『明日 僕は龍の足元へ崖をのぼり 呼ぶよ「さあ 行こうぜ!」』
〜中島みゆき〜
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