みなさまこんばんは。太平です。
さて、予告通り昨日の内容を【化粧】で書きます。
あくまでも私の【価値観】での話ですからね。私はこう思うよってだけの話です。ただの投げかけですので、問題提起と言っていいのかもしれません。
勿論、反論があれば【反論】を聞きます。教えてください。価値観というのは、前も書きましたが学びによって変化します。【反論】を聞いて、納得することがあれば、私の価値観もそれに応じて変化します。
ただ、お互いの【価値観の押し付け合い】はしたくありません。
是非、ご自分の【論】を投げかける形で、私に教えてください。
感想などは大歓迎です^^
さて、昨日の内容は【戦争】についてでした【争い】ですね。
わたしは【争いは執着によるバランスの崩壊】と考えています。
そして戦争が無くならないのは、それだけ【執着】というものが恐ろしく強いからと私は考えています。
いきなり【戦争】を考えると、スケールが大きすぎてわかりにくいので、今日は色々な所を飛び回りながら、戦争に戻ってくることにします。
【戦争】の最小単位はなんでしょうか? 人VS人でしょうか? 私は個人、私自身の中に最小単位があると考えます。
我々は、毎日、壮大な戦争をしながら生きています。夥しい量の細菌やウイルスが体内に侵入し、それを個人的防衛軍隊である免疫軍が駆逐、もしくは共存しているからバランスを保てます。
ここで少しだけ意識の話をしてみます。
簡単に意識をふたつに分けます。
一つは、表面意識:浅い意識ですね。思考とかマインドとか呼ばれます。体を動かしたりも基本的には表面意識です。
もう一つは、表面意識より深い意識です。潜在意識とか深層意識などなどです。「無意識的に体が動いた」とか「無意識的に言ってた」など経験がありませんか? とにかく普段は表面化されてない意識というものがあります。
基本的に我々は表面意識で生きていると認識しています。普通の人が普通に見ているのは表面の顕在意識だけです。勿論私もそうです。
では顕在意識で、バランスを保つことが可能な自分自身とは何か?
これは例えば自傷行為などをあげることができます。
実際の自傷行為というものは、目に見えないレベルでの攻防のバランスが崩れたため起こっているのですが、これは現象的には顕在意識レベルでコントロールできます。つまり、傷つけなければ傷つかない。それで『自分』は崩壊せずにバランスが取れます。
自傷行為に結びつく深いレベルの傷が少ない人は、これがあたりまえに出来てバランスをとれています。自傷行為癖のない人達ですね。
つまり自傷行為に至ってしまうのは、深いレベルの傷があるから、顕在意識レベルでもコントロールできなくなってるんですね。(私のお弟子にはそういう人もいました)
過食や拒食もそういう意味では顕在意識レベルでコントロールができます(先にあげた理由で、実際はもっと深い部分が関与しているため、そういった症状に至っている人達にとっては、コントロールするのはそう簡単ではないのですが)
これらは色々なレベルでバランスを保ちながら、健康を維持しているという一つの例えです。
何が言いたいのかというと、表面意識でコントロールしやすいものと、表面意識レベルではコントロールが難しいものが存在しているということです。
たとえば、免疫の動きを顕在意識でコントロールすることは非常に難しい。笑ったり、嬉しいことをすると免疫力が上がるという報告がありますが、「ようし免疫力をあげるぞ!」と思ってダイレクトに免疫力をあげることは簡単ではないです。(食べものを選んだり、適度な運動をしたりで良くなると言われていますが、ダイレクトにするのは難しいという意味です)
他にも心臓も肝臓も腎臓も、基本的に我々の顕在意識とは別に動いています。勝手に血液を送り、勝手に免疫物質を作り、勝手に毒素を排泄してくれています。これを「よっしゃ心臓動かすぞ!」って動かすのは大変です(不可能ではないそうです、一部のヨガの高レベル修行者は心臓を一瞬止めたりできるそうです)
さて免疫異常という概念があります。これは本来我々の味方である、免疫物質が、自身を敵とみなし攻撃をはじめることなどを理由にして起こります。免疫の反乱ですね。
この系統の病気は、治療が難しいことが多いです。なぜなら、本来、体を守ってくれているものが反乱を起こしているからです。
内部告発や内乱が、企業や国の崩壊のきっかけになるようなものに似てるかもしれません。
とにかく、毎日、私達の体は戦っていて。その戦いのバランスが保てるから平和が維持できるのだと思います。過剰でも過小でもバランスが崩れます。
アレルギーなんかは免疫の過剰反応ですし、エイズなんかはウイルス感染に伴う免疫システムの崩壊といっていいかと思います。
それはコントロール可能なものもあれば。悲しいけれど、どうしようもなくコントロールできないものもあります。バランスを自分の意志でコントロール出来る人がいたら『神じゃね?』って思うくらい凄いことかもしれません。
どこか分からないところに『何だかの病気の原因』が【執着】していて、バランスが壊れている、と言っても良いかもしれません。この場合の執着は、執拗にこびり付いていて、という意味です。
医療の現場には『人間の手に負えない』レベルの現象が沢山あります。
目を背けたくなるのを、ただただ見守るしか無い。そういう現象があるんです。
続いて 『人VS人』 の話に移ります。
昨日のブログの『麻雀』が意味するのは『戦争』です。
えーちゃんとヘソ君が金を求めて『侵略戦争』をしかけてきたわけですね。
ここで、私が『お金がないから降参する』という選択肢を選べば、戦争(麻雀)は起きませんでした。
または、金をかけずに遊ぶということも可能でした。家から脱走するということも可能です(笑)
しかし、私には執着があったんです。
『金が無いことを理由にしたくない』という執着と
『麻雀で絶対に負けたくない』という執着が。
執着が強すぎて、争いを選ばずにはいられなかったのですね。
執着が無ければ、もしくは少なければ、他の選択肢が選べます。
『争い』は、基本こういうメカニズムで起こります。
『争い』は執着がバランスを崩壊させているのだと、私は考えます。
(昨日の場合だと、3人ともお金があったとしたら、麻雀を争いでは無くゲームとして、誰も苦しまないように。現象的には全く同じ事をしても良いのですが。私は自分のバランスが悪くなる可能性があるにもかかわらず争った、という意味です)
彼らはどうだったかはわかりませんが、私は完全にバランスを失っていました(笑)お金が全然無くて苦しかったですから(笑)
昨日のブログの段階であれば、まだ麻雀の形とルールでかろうじてバランスが保てていますが、もっといけば殴り合いに発展するリスクだってあります。その先には殺し合いが待っています。
私の父ならば『オリンピックレベルの争いで争いのゲームは満了し、戦争を避けるべきだ』と言うかもしれません。
かろうじて『麻雀レベルの争いで満了させ、殺し合いを避けられた』といっても良いのかもしれません。
小難で大難を避ける。というやつですね。
とにかく。どちらにも執着があると、最終的には『争い』に発展するリスクがあるのですが。争いとは『正義のぶつけ合いゲーム』でもあります。
価値観が生じるところには、必ず『正義』と『悪』が生まれます。
私の価値観の主軸である『価値観はそれぞれ違う』というものになぞらえると。
正義:『相手の価値観を肯定すること』
悪:『相手の価値観を否定すること』という図式になります。必然的に生じます。
『無』でない限り、生じます。『無』は究極です、私も分からない世界です。
現在では、色々な選択を選べますが。当時は不可能でした。
なぜなら、執着してることにすら気がついていないからです。
『とにかく許せない!』という強い感情があるだけです。
意識にかろうじて登ってくるのは、それだけです。
原因は、自分の深い深いところにあるんですね。それを手放すのはとても大変です。
無意識には無意識の理由があって。わざわざ奥の方に隠さなければならない理由があるのだと私は思います。
だって、簡単に気がついて問題ないようなものなら、近くに置いておけば良いのですから。
ともかく『執着を手放す』のは大変です。執拗に着いている、のですから。
オレンジジョイを使ったときの油汚れみたいに、簡単に取れたら良いんですけどね^^;
あと、どこに執着がついているのか、全然わからないところも、恐ろしいことです。
とにかく『執着』はやがて『争い』を生みます。
そして『執着』は『手放すのが難しい』
よくスピリチャル系の本などで『執着を手放しなさい』『楽になれますよ』って書いてあるんですが。私もそれに完全に同意なのですが。
手放せって言われても、そうそう簡単に手放せないんですよね^^;
ふわっと、簡単に手放せれば、戦争はやはりとっくに無くなっているのだと思います。素敵な世界ですね。私は、そういう世界も好きです。
つまり、『人間』には『深い部分』で『どうしてもコントロールしがたい執着がある』ため戦争は無くなりません。『人の闇』と呼ぶ人もいるかもしれません。
極論ですが。私は、徹底して自分の内面を追求した先に『真の平和』があるのかなと感じています。その修行はとてつもなく大変だろうなと思うのですが、平和の道は、そのような内面の果てしない戦いの先にあると感じます。
さて私の価値観の主軸は『価値観はそれぞれ違う』なのですが。
今、何をやっているかというと『自分の価値観』の究極を目指してるんですね。自分の価値観の完全な状態を目指しているだけです。
なんだかたまにこの人は『悟ってるんじゃ無いか?』と勘違いされますが、『全然全然全然悟ってません(笑)』
執着も沢山残っています。昨日のブログ書いていて、やっぱり、まだまだ胸がチクリと痛い部分があるんです。そういったものを探しているんです。
そして、価値観はそれぞれ違うので、他人の価値観も、もっと知りたいのです。
「あ!こんなに違うんだぁ!面白いなぁ!」ってのを楽しみたいんです。 だから変態行為の強要は困りますが、変態の話を聞くのはわりと好きです(笑)ヘソ君は変態ですから。
つまり、このブログに書いているものは、『今の私の価値観そのもの』です。
合気道の神様と呼ばれた『塩田剛三』さんは
弟子に『合気道で一番強い技はなんですか?』と問われ
『自分を殺しに来た相手と、仲良くなることだよ』と答えたそうです。
そういう平和のエネルギーが広がって行ったら、素敵だなと思って。
私は自分の道を弟子とともに歩いています。
あ、でもあれだよ。『俺と仲良くなってみろ!とか言って殺しに来ないでね!(笑)』
俺、体弱いし、喧嘩弱いし、運動神経もへぼいし、逃げ足も遅いから、襲われたらあっさり殺されちゃうんよ^^;
あの、これは、俺ってこういうヤツだよ〜ってだけだから、気に入らなかったら、そっと閉じてね☆ お願いね☆ もしくは優しく反論を聞かせてください^^
『悪い人がいないなんて あいにくですが頷けません 正しいひとこそいないんじゃないか? 完璧正しいってどういう人だ? 争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く その争いは気分が良いか? 正しさの勝利が気分がいいんじゃないのか?』
〜中島みゆき〜
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次回はお祭りだよ!こうご期待!

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