『変装の基本はメガネと髭とカツラである。
この3種の神器が揃い、尚且つ違和感なく調和すれば。貴方が特殊な身体的特徴を有しない限り、まずその変装は見破られることは無いだろう−−−』
〜変装の勧め より抜粋〜
ある日、職場近くにあるコーヒースタンドで出会った彼は変装をしていた。
青いフチで出来たのび太君メガネは、見事に彼の優しげな目元を遠ざけている。
グラスを通した彼の目は、虎視眈々と何かを企みながら機を伺っている。
カツラは実に斬新なスタイルをしている。田植え直後の苗を彷彿とさせるそれは、むき出しの頭皮にチョコチョコと植毛を施したように見える。
なるほど、これでは誰もカツラだとは思わないだろう、なぜならばこのようなカツラを装着する意味が無いからだ。そういう意味で、不自然が、なにやら特殊な『自然』として調和した稀有な例と言える。演出家のセンスがきらりと光る。
青々と育ったモフモフと深い髭は、きっと虫たちにとって格好の隠れ場所だろう。戯れに手を入れた悪戯小僧の、泣きながらステロイド軟膏を塗る未来が見えてくる。
当然口元も隠され、わずかに見える口の形は笑っているようにも、怒っているようにも見えてしまう。これでは容易には近づけない。人は感情が分からない相手に、本能的に恐怖を覚える生き物なのだ。
さて、何故私が、彼の『完璧な変装』に気づいたかと言えば。
答えは単純なのであるが、そこが彼の定位置だからである。
例えばKFCの隣に並ぶ好好爺。ある日彼が金髪になり、髭を剃り、マトリックスの様な黒スーツにサングラスをしたとしても。
−−我々は、彼がカーネルサンダースだと気づくことができる。
−−なぜなら、そこが彼の定位置であるからだ。
それと同じように、インドにおいて、おそらく無限に近く存在するその位置は。
全て彼のものなのである。
従って、我々は、たとえどんなに変装していても、彼が彼であることは分かってしまう。
では何故、彼は変装を?
おそらく、これは彼の意志ではあるまい。晩年の彼はわずかな、本当にわずかな物しか所持しようとしなかった。おわんや布の服、用を足すためのおまるなど、おそらく全て集めても段ボールの半分も充たすことはできないだろう。
そんな彼が、物をつかって自らの姿を偽わるなどとは到底思えないのだ。
きっと、歴史を学び。彼の悲痛な最後を知った子供が、どうか暗殺されませんようにと祈りを込めたに違いあるまい。どうか彼が彼であることをバレませんようにとーー
インド独立の父と呼ばれた彼は、ヒンドゥ原理主義者の若者に3発もピストルの弾を撃ち込まれ絶命した。
そのとき彼は自らの額に手を当てたという。
それはイスラム教で『あなたを許す』という意味の動作であった。
『非暴力・不服従』
その言葉の真意にはなかなか至れない。もしかしたら一生かかっても分からないのかもしれない。
しかしこれだけは、間違いないと思える。
一仕事を終え、嬉しそうに青いペンを離した,その子供に。
きっとガンジーは微笑みながら、額に手を当てるのだろう。
『もしも私にユーモアが無かったら、これほど長く苦しい戦いには、耐えられなかったでしょう』
〜マハトマ・ガンジー〜
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