私は今、英語でコミュニケーションを取るしか無い状況にいるのですが、そんな環境だとよく幼少期のことを思い出すのです。
色んな事を感じていて、理解しているのですが、言葉にすることができない。
もっとちゃんと説明したいのに、口がついてこない。
そんなもどかしさで、少し甘酸っぱいことを思い出しました。
山口さんは私の初恋の人でした。小学校2年生のときです。
山口さんはちょっと色黒で眼鏡をかけていて『メガネ黒人』とあだ名をつけられていたのですが、とっても可愛くて、私はとても好きでした。
きっとあだ名を付けた人も好きだったのだと、今は思います。
山口さんは家の方向が同じで、よく帰り道で一緒になるのですが、恥ずかしくてどうしても声がかけられませんでした。
そこで私は『スカートめくり』という手段に訴えました。
当時の担任が声を絞り出すように『奇抜な馬鹿』と私を褒めたことを思い出します。
帰路で山口さんを視界に捉えるやいなや、ダッシュで近づきスカートめくりを連打しました。
山口さんばかりをターゲットにしていては、『山口さんを好きなことがバレてしまう』と無駄にこざかしい私は、無差別に女の子のスカートをめくりました。
木を隠すのは森であることを本能で知っていたのですね、『あぁこの人はスカートをめくる人なんだ』という認識にしたかったのでしょう。
そんな無差別に愛を振りまく私に憧れ『弟子』が数人できました。
私は『弟子達』の前で恥ずかしい行動はできないと思い、それはもう勇ましくスカートをめくり続けました。『辛くなったら私の背中をみなさい』と。
当時からアイデアマンであった私は次々に必殺技を閃きました。
『稲妻スカート』:ジグザグに道を走りながら、吹き抜ける春風が如くスカートをめくる
『スカートタイフーン』:ターゲットの女性の周りを人工衛星が如く回りながら、連続してスカートをめくり、マリリンモンロー状態を作り出す。
次々に入団院が増え、幻影旅団も顔負けのスカートめくり集団ができあがりました。
そんな中、私はミスを犯します。
『アジャコング』とあだ名される強烈な上級生のスカートに手を出してしまったのです。
弟子達が増え、驕る気持ちがあったのでしょう。完全に相手の力量を読み違えました。無謀と勇気の境目が分からなくなっていたのです。
『アジャコング』はスカートを捲られるや否や、私の肩をつかみ、森の中に引きずり込みました。恐怖たるや座りションベンものです。
『弟子達』も、大変なことになった、という顔でこっそり2人程ついてきていました。
アジャコング『おいなんでそんなことをするんだ!』
私『うるせえ、何が分かる!』
ポカリ(殴られた音)
アジャコング『おい、もう二度とするなよ!』
私『嫌だ!』
ポカリポカリポカリ(連打で殴られた音)
アジャコング『おい、早く泣けよ!』
私『嫌だ! 泣かない!』
ガンボコガスゴスボコポコ
どう考えても私が悪いので、弟子達も先生を呼びに行けなかった様子。
結局、私は大泣きしながら家に帰ったのですが、最後まで意地をはったのが良かったのか弟子達との結束は固くなったものです。
そんなある日の道徳の授業
担任(女性)がおもむろにこう言いました
『エロ本は変態ではないよ』と
教師の口から『エロ本』などという単語が飛び出てくることなど、考えもつかなかったので教室は騒然とします。
私『おい聞いたか?』
弟子『はい、たしかに聞きました、エロ本っていいましたよ、きゃつは』
私『だよな?夢みたいだ、ちょっとツネッてくれ』
ざわついた教室が静かになるまで担任は待ち、こう続けました。
担任『いいかい。男の人は綺麗な女の人の裸を見たいという気持ちは普通のことなんです。だからね、もしもお父さんがエロ本を持っていても、それは変態じゃないんだよ。家でみつけてしまっても、お父さんは悪くないんだよ』と。
教室は静まりかえったままでした。
今でもやっぱり思う、あの人は『教師』であったと。
『子供の心を守る』気骨のある大人だったと。
我々は言葉に出来ないけれど、『何か大事なもの』を耳にした感覚を静かな教室で味わっていました。
そして、あの一言が飛び出します。
担任『でもね、あの。あれだ。スカートめくりは変態ですよ』
変な間ができた。
スッと山口さんが手をあげた、そして言った
『太平君が毎日のようにスカートめくりをしてきます、やめてと言ってもなかなかやめてくれません』
担任『太平君、立ちなさい』
立ち上がる私。弟子達は、うつむいたり、よそを向き他人のふりをする。いや、他人なのだが。
しかしそれでいい。
これから私は処刑される、君たちは生きろ。
担任『どうしてそんなことをしたのですか?』
私『・・・』
担任『どうして黙ってるの?』
私『・・・』
今ならちゃんと言える。僕は山口さんが好きだったのだと。ただどうしていいか分からなくて、それでも近くに行きたくてスカートをめくるしかなかったのだと。
そんなにパンツが見たかったわけじゃ無くて、泣かしたいわけでもなくて、ちょっとでも側にいたかっただけなんだと。
『セックス』の『サの字』もしらないあの頃、あの感覚は確かに『恋』そのものだった。性欲のかすかな息吹がそっと本能の背中を押してくれた、確かな『恋』そのものだった。
かくして『変態』の烙印をお上(教師)から押されることにより、私は晴れて罪人となりスカート団は壊滅させられた。
良いタイミングで壊されて良かったと、今なら思う。
やはり、あの教師に守って貰ったのだと思う。立派な大人だった、少なくとも33歳の今日までは忘れていない。できることなら忘れたい。
山口さん、『奇想天外な馬鹿』と呼ばれた私は今、何故かインドにいます。
山口さん、こちらの美人はきっと貴方に似ています。
山口さん、私は貴方のことが好きでした。
ありがとう。本当にごめん。
ありがとう。
写真はボートからのガンジス河、罪を流すという大変な仕事を持った河。
ごめんね、変なもの流そうとして。大丈夫、持っていくから。
『恋は、出来の悪い学者よりも数倍勝る人生の教師である』
〜アレクサンドリクス〜
『真面目に恋する男性は、恋人の前では困惑し稚拙であり、愛嬌もろくにないものである』
〜カント〜
『短く笑って、長く泣く、それが恋のならいだ』
〜ガイベル〜
『初恋は男の人生を左右する』
〜モロア〜
『人が恋におちるのは重力の責任では無い』
〜アルベルト・アインシュタイン〜
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コメント
コメント一覧 (6)
無謀と勇気の境目を超えたら、そこにはボッコボコが待ってたのね。
うふふふっ。😁(あっ、ほんとに絵文字オッケーだ)
いつでも境目にたゆたうのは常識って流れですよね。
大人はこの境目でたじろぐのでしょうね。
懐かしい〜✨✨グループじゃなかったですけど😏✋ハンターハンター好きなんですね、私もです💕特にヒソカ😍💕
ガンジス川に罪を流すというのは、具体的にはどんなことなのでしょうか?罪が流れてなくなって、何か残るのですか?
そうですね、果敢にも無謀に突っ込んだ良い思い出です。
『なんでもなんとかなる』と思っていたのですね。
それは今でもあまり変わりが無いのかもしれません。
貴方がもしも境目にたゆたえる人であれば、それは『天才』だと思います。
すごい良い才能です!
馬鹿は境目を越え、凡人は境目までは足を踏み入れることができません。
しかし、森に引きずり込まれたあの日。怖かったなぁ。
攻撃力が『殺意』においつかないあの頃、思いっきり殴られたことは財産なのかなとも思います。
私の読者でハンターハンターが好きな人がいるなんて思っていなかったので嬉しいです。
私もヒソカが好きですが、一番好きなのはレオリオです。
あぁいう真っ直ぐな馬鹿に憧れがあります。
難解な質問をありがとうございます。
罪を流すというのはどういうことか、罪が無くなったあと一体何が残るのか。
私は明確な答えを持ち合わせていないのですが。
少しだけ『本物』と『偽物』の話しを書いてみます。
どちらが最初にできるのか?
それは『偽物』なんです。
最初はただの『物』が存在している。
ある日、それをまねた粗悪な『偽物』が生じます。主にお金の為です。
同時に、相反する概念の『本物』が現れます。
『本物』は『偽物』があって初めて意味をなす概念なんです。
では『偽物』が品質を高め、世に認められる『物』に昇華すると
偽物は『本物』になります。
もともとあった『本物』はそれを支える概念の『偽物』を失うため『物』に戻ります。
同時に『本物』になった『偽物』も、それを支える力を失い『物』になります。
最終的に、偽物も本物も無くなり『ただの物』が残ります。
もしかしたら、そんなことが貴方の質問の答えに近いのかもしれません。