飛行機。後部乗り降り口から出るのは初めて。

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階段の下は滑走路そのまま。

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バスが迎えに来てくれるようなことは無く、歩いて空港内に向かう。

 

幸いカラリと晴れたカンカン照り。40℃。

ホテルに荷物を置き、オートリキシャを捕まえる。

 

リキシャマン『バラナシは初めてかい?』

Taihei『いや、3回目』

リキシャマン『えええ? 3回も来てるの? そんなに来るほど見所ないでしょ?

 
 

案内人よ、もうちょっと頑張れ!

 
 

リキシャマン『今日は何やるの?』
 

Taihei『ボーッと川を見るだけだよ』
 

リキシャマン『サールナートは?(ブッダが初めて説法を行った場所)』
 

Taihei『今回は行かない』
 

リキシャマン『ヒンドゥー大学は?(インドの歴史ある大学)』
 

Taihei『今回は行かない』
 

リキシャマン『ボートは?』
 

Taihei『もう何回も乗ったから要らない』
 

リキシャマン『本当に川をみるだけ?』
 

Taihei『みるだけ』

 


 

リキシャマン『君、変わってるね!

 

んー? インド人に変人扱いされる。

 
  

オートリキシャはガンジス川の手前で止まる。

川沿いは人が多すぎてリキシャで行くのは効率が悪いのだそう。

『たった500メートルだから歩いて行ってね』
 

最初は『めんどくさがってるのかなぁ?』と思ったけれど、3回この街に来て、何回リキシャに乗っても同様に扱われるので、そういうものなんだろう。

※ 早朝は川沿いまで連れて行ってくれます。

 

バラナシの街並み。
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相変わらず人が多い。ときおりフルーツジュースを放置したような、ほこりっぽい気怠そうな甘い香りが届く。

 

 

狭い路地。

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日が当たらないので少し涼しい。犬や牛の寝床になってる。ハエが多い。

 
 

サモサを食べる野良牛。肋骨見える。ガリガリ。

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水浴びをする若者達。

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癒やされる。ガンジス川大好き。

 

 
 

歩き疲れて、立ち寄ったカフェで日本人と知り合う。

バラナシの大学で『ヒンドゥー文学』を勉強しているそうな。
※ 授業は『ヒンドゥ語』で『ヒンドゥ文学』を習うそう。筋金入りのヒンドゥ学徒。 

 

面白そうなので食事に誘い、ヒンドゥ文学について教えて貰う。

 

1375年以前のインド文学は『その王様がどれだけ偉い人だったか』を伝える文学が主流で

1375年以降から『神様について』の文学が増える。これは『どうやって神様を手に入れるか?』ということがテーマのものが多いのだそう。

 

ちなみにその時代は、まだ『ヒンディー語』の概念がきちんと成立していない。

『ヒンディー語』の歴史は意外に浅く。成立はだいたい1800年代頃なんだそうな。
 

『ヒンディー語』の基盤は『上記のような古典文学に使われていた、高級で高尚な言葉』で。それが民間に受け入れられて広がったのだそう。

 

なるほど。彼らは王様や神を称えるときに使う『高級で高尚な言語』を、母国語として選んだのね。

 

で、現代のヒンドゥ文学は『貧しい人の心情』とか『役所の腐敗』を描いたものが流行しているらしい。

 

 

 

歴史年表と並べてみると、ちょっと面白い。

 

1300年頃に ヒンドゥ教系王朝 → イスラム教系王朝 への変化がある。

ヒンドゥ教系王朝時代は、マハラジャと呼ばれた諸侯達の権力が強いので、そりゃ『勝者の歴史』が残されるわな。王様マンセー的な。

 

古い中国とかでも『王様を悪く言った文章』は残っていないものね。(そんなの書くと不敬罪で死刑になるし、こっそり書けたとしても燃やされちゃう)

 

そんな『王権優位』(有権者にとって都合の悪い書物が残りにくい)時代が、他民族の侵略で壊れる。(インドはイスラム系になります)

 
そこから大きく文学の性質が変わる。王様→神へ。

この背景には何があるのだろう?

<仮説1>

他民族の支配下になり、自分たちの主達と思っていたものの絶対性が壊れる。

ヒンドゥ教徒『うおお、俺たちは一体、何にすがれば良いのだ!?』

神へ

 

<仮説2>

イスラム教圏の思考と融合したのか
ヒンドゥー教徒『一神教もパネェ』 

 
<仮説3> 

王政の崩壊に伴って、文学の風通しが良くなった(なんでも書けるようになった)
ヒンドゥ教徒『俺たちはもともと神について書きたかったんだい! ようやく時代がきたぜ!』 

 
<仮説4> 

国の行く末に絶望して、民間人が個人的な救済を求めるようになった。
ヒンドゥ教徒『バブルも弾けたし、大企業に身を寄せる時代は終わりっしょ。やっぱ個人が自立しなきゃね』 

 

 

理由をアレコレ想像すると楽しい。詳しい人がいたら教えてください☆

 
 

 

そして現代は『貧しい人達』や『役人の腐敗』文学が流行っているというのも興味深い。

 

それだけ『豊か』になったってことなんだろうなぁ。

戦国時代みたいに国家存亡の危機を迎えてる状態では、『最下層の人達がどういう生活してるか』みたいな文学流行りようがないもんね。 実際にはそういう文章を書いてる人達もいるのだろうけれど。

 

国が豊かになって、安全な場所が増えてこないと、そもそも読者層の識字率が上がらないから、『その手の文学を』読む人がいないのかも知れない。 

 
 

 

さてさて、インドで大流行した小説のあらすじを教えて貰ったので書きたいと思います☆

 



主人公はインド人男性。少々融通が効かないところがあるが、真面目でコツコツと働く主人公。

念願である家を貰える権利を得ることができ、必要な書類を書き込むと役所に提出した。
 

しかし役所は『うんともすんとも』言ってこない。
 

なかなか家を貰えないので、主人公は何度も役所に訪れる。
 

しかし役所は一向に家をくれる気配が無い。
 

主人公は失意のうちに死んでしまう。


 

主人公の魂は、家が貰えなかったことが後悔になり、成仏できない
 

さまよう魂は、やがて『家を貰うための書類』に逃げ込んだ。
 

そして主人公は、自分が家を貰えなかった本当の理由を知ることになる。


 

役人A『おい、今。書類提出してきたヤツ。あいつバカだわ』
 

役人B『あらら、あちゃー。これはダメだね。飛んじゃうね
 

役人A『そうだよなー。書類って紙なんだから。ね、重りを置かないと飛んじゃうのはしょうがないんだよね
 

役人B『なっ!札束っていう重りをなっ!』 



うーん。コレが大ヒットしたのか。

ちょっと救いが無さそうな話だけど、当時のインド人達には『痛快な役所批判』だったのかもしれませんね。

 

豊かになってきたことで出現した文学だと思うけど。うーん、でも、悔しかっただろうな、書類君は。

書類君が成仏できますように☆


学生さん。教えてくれてありがとう^^
楽しい時間でした☆ 

 

 

 

 

『救いは一歩ふみだすことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩をくり返すのだ』

〜サンテグジュペリ〜

 

 
 

 

 

 

『孤独であることは救われることである』

〜レオナルド・ダ・ヴィンチ〜

 

 

 
 

 

 

 

『言語は思想の衣装である』

〜サミュエル・ジョンソン〜

 

 

 

 
 

 

 

『正直に語ることは難しい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くに沈み込んでいく』

〜村上春樹〜

 

 

 
 

 

 

 

『小説を書く、物語を書く、というのは煎じ詰めて言えば「経験していないことの記憶を辿る」という作業なんです』

〜村上春樹〜




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