実は私は視力検査が嫌いでして、目が悪いというのが一つの理由なのですが
よく思い出すのは小学校2年生のときに視力検査の日に家に帰って視力を報告したら、したたかに叱られた場面です。
『悪くなっちゃったもんはしょうがないじゃん!』と笑い飛ばせる力はなかったし
なんで叱られたのかもよく分からなかったから、視力検査自体を怖い物、嫌な物と刷り込まれちゃったのかも知れません。
ほんと不思議な物で、今だに、やっぱりちょっと嫌なんです。
視力検査の結果を低下させないために『視力検査の表を暗記』したこともあったなぁ。
ばれないように0.8くらいを維持するのをコツとしていました。我ながら愚かしくて愛しい。
叱られないように何とかしたくて、でもろくな手段がなくて、考えた末に保健室に忍び込んで覚えたんです、懐かしい。
そんなことを思い出したのは、こんなのを見つけちゃったからですね。
右側の方で検査されると悲しいことが起こります。自動車の免許も取れなくなっちゃう。
「これは?」
「分かりません」
「これは?」
「分かりません」
これって結構拷問ですな・・・、解剖実習の口頭試問を思い出すぞね。
日本の視力検査の時に。なんとなく分かる気がするけど、ちょっと自信なくて、でもまあ言ってみるか的に『⇒』って示すことが私はあるのですが、それで間違ってた場合は検査してる方からすると
「うおっ!こんにゃろ、見えてねえのにあてずっぽで来やがったな!ふてぇ野郎だ、視力20%引きにしてやる!」
みたいな感情を抱く物なのかしら?
あぁそういえば、実家の近所の眼科は、視力検査で間違ったことを言うたび
技師さんに「違います」って言われるところだったな。
あれは地味に効いた。
ダメージが蓄積されて翌日英語の授業とかでCとかUとかnを見ると『うっ』ってなるくらい。
Concludeは『うっ』『うっ』『うっ』『うっ』一粒で4度美味しい。
・・・まあそれは置いておいて。
私としては、乱視を判断するための緑・赤の表が、FRIENDになってるところがなかなか。
しかし検査とかテストというものは『自分がそれに関して弱い!』って思っている場合は苦痛なものですねぇ。
変な話なのですが、視力検査に色んな事を教えて貰った気がします。
『私は、私が出会ってきたすべてのものの一部である』
〜テニソン〜
『友達は無二の自己である』
〜アリストテレス〜
『誰も称賛してくれるものがいなくても、自分のことは自分で称えよ』
〜バートン〜
『人間は他人の経験を利用するという特殊な能力を持った動物である』
〜コリンウッド〜
『友人の果たすべき役割は、間違っているときにも味方をすること、正しいときには誰だって味方になってくれる』
〜マーク・トゥエーン〜
『私はお前の言うことに反対だ。だが、お前がそれを言う権利を、私は、命にかけて守る』
〜ヴォルテール〜
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コメント
コメント一覧 (2)
右?…上?左…?って言われるとクイズじゃねえ!って思ってました (笑)
太平さん!
引き続きインド生活頑張ってください!
ぬー、やはりそういう印象を抱いてましたか☆
そりゃそうだよなぁ^^;
『なんでこれが見えて、こっちを間違えるんだよ!おかしいだろ!』ってこともあるわな。
インド生活!そうね、これから暑くなりますが、やったります!